人にはそれぞれ、気力・体力・精神力があり、
持っている量はみんなちがう。
だから、誰かが成功出来たからって、同じことがみんな出来るわけではない。
たしかにね。
納得。
私は、人一倍体力がないからなーーー。
っと、今日の感想を夫に話すと、
夫から言われました。
「成功」って何だ?
何をもって「成功」っていうのか?
「有名になりたいのか?」
「みんなにすごいねーーとか言われてちやほやされたいのか?」
「うーん・・・・??」
たしかに。
「たったひとりでも、クライアントさんが泣いてくれて、解放されてくれたら
それは『成功』なんではないのか?」
なるほど・・・。
私は自分を成功者だと認めていなかったと
今日気が付いた次第でございます。
成功者だと自分で認めずして
成功するはずがないのですから。
人は、
「自分とは何者か?」という
自分を測るモノサシをもっています。
若い時はそのモノサシを、
他人に預けることで自分を測ろうとしてしまっています。
人からどう思われるか?
社会や、学校の中での自分の立ち位置はどこか?
そうやって他からの評価で自分を測ろうとします。
でも、だんだん大人になって社会経験も積んで、
他人に預けることに意味がないことに気が付きます。
人の評価は、人によって大きく変わるし、
その人の気分でも変わります。
そのたびに振り回されて
ようやくモノサシの位置が間違っていると気が付くのです。
そんな不安定な評価は意味がないと知るのです。
そして、だんだんとモノサシを自分で持つようになります。
自分で自分を評価し、
自分らしく生きようと決心します。
だから、人にどう思われようと、
以前ほど気にならなくなります。
それが、大人になるってことなのではないかと
私は思います。
おばちゃんは、図々しいと言われます。
おばちゃんは、大人だからです。
(あまりにも度をこしているのは困りますが。)
自分の評価で物事を判断し、行動するので、
多少他人からどう思われようとあまり関係ないのです。
私も一人のおばちゃんとして
そう思います。
つまり、
今日の大切な趣旨は
「自己像」です。
ちなみに、これは「地蔵」です。
ってダジャレ言うためじゃなくて・・。
「自己像」については
また明日。