昨日の記事
本当にあった臨死体験
からの続きです。
受け取った情報は全部細かい光のような粒子で、砂絵のように見えました。
私は自分が浮いている庭を眺めました。
その日はちょうどいいお天気でお日様が明るくさしていました。
その太陽の光は、七色でした。
光の線はひとつひとつが七色の輝きをもって、地上を照らしていました。
庭の木からこぼれ落ちるこもれびは、世界中の宝石をいっぺんに空にまき散らした瞬間を、一舜時間を止めたかのように、それぞれか、光を反射して空中に揺れていました。
肉体がないはすの私は、その瞬間涙があふれました。
なんて!美しいんでしょう!
この世は、、愛でできていると感じました。
この世には 愛しかない と。
私が肉体をもって生きていたこの世界は、光という愛の粒子でできていました。
当たり前だと思っていた日常は、愛という奇跡の連続 の中になりったっているのだと思いました。
ただ、ただ、ありがたくて、ありがたくて、
涙がとまりませんでした。
そして同時に
「あ、私は死ぬんだな。」 って思ったんです。
号泣しました。
肉体はないけど、号泣したという感覚です。
大声をあげて、子どものように泣きました。
「死にたくないです。」
「家族と別れたくないです。」
「まだ、小さな息子を私は大きくしなければならないのです。」
とにかく、泣きじゃくりながら大声を張り上げていました。
次の瞬間
関節の節々の痛みを感じました。
重たーい体にもどったのです。痛くて、だるくて、熱くて、苦しい体にです。
私は泣いていました。
顔が涙でびしょびしょになっているのを感じました。
体から離れていても、心の状態はちゃんと肉体が表現するんだと思ってような記憶があります。
正直何が起こったのかよく理解できていないまま、あまりの体の痛さに、「生きるって、つらいな…。」って思っていました。
先日知人にこの話をしたら、それは臨死体験ではなくて、ただの幽体離脱だ、と言われました。夫は今でも、それは夢だったんだ、と言います。
もしかしたら、ただの夢だったかもしれません。
意識も朦朧としていたので、ただの幻覚だったかもしれません。
でも、あの時感じたこの世の美しさを、今でも明確に覚えています。
この世のすべての物質も、思いも、全部、細かい砂のような光の粒子で構成されていて、それはあたたかく、深く、虹色に輝く物質でした。
愛 というしか表現しようのないとてつもなくありがたいと思えるものに感じました。
だからって日常がどう変わったわけではありません。
しばらくしてインフルエンザも治り、元気になると、私はこの世への感謝もすっかり忘れ、何事もなかったような日常がめぐってきたというだけです。
今日も読んでくださってありがとうございます。