え?これお人形じゃない?って一瞬思いました。
産まれたばかりの息子は
看護婦さんの片手の手のひらの上にのってしまうくらい
小さくて、細くて、震えている、真っ赤な赤ちゃんでした。
約20年前
息子はたった1500gで産まれました。
私の妊娠中毒症がひどくて
もう赤ちゃんの命が危ないと医師が判断し
月足らずで帝王切開で出産しました。
小さいけれど、元気によく泣く子だね、と看護婦さんは言いました。
医師は
なんとか、命はとりとめました。
でもここからが勝負です。
なにか障害が残ったとしても覚悟してください。
最低でも1か月、状態によってはそれ以上入院してもらいます。
といいました。
1晩だけ、私は泣きました。
ごめんなさい。ママのせいで。ごめんなさい。
そして次に日
私は持ってきていたノートの一番最後のページを開き
こう書きました。
H10年1月2日(1か月後の日付)
息子は完全に健康で、元気で、すくすく育ち、
家族3人で家に帰りました。
病院のみなさま、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
ノートに3回書きました。
そのとき、今の今まで抱えていた不安が一掃され
ものすごい安堵感と幸福感に満たされました。
息子はNICU(新生児特別集中治療室)の保育器に入れられ、
黄疸の治療をしたり、様々な戦いがありましたが、
本当に不思議なことに
ノートに書いて以来、
私の中には、1ミリの不安も、1ナノグラムの心配も浮かびませんでした。
息子は完全に健康体で元気に退院できると
私はなんの疑いの余地もなく知っている、と思っていました。
そうです。
私は 終わりを設定 したのです。
子育てはまさしく何十年もの長い物語です。
その第一章は必ずハッピーエンドで終わらせなければなりませんでした。
明日につづきます。
↓
現在の息子です。
今は173cm、大学生です。
中学生の時は鹿島アントラーズのJYに所属していたくらい
元気で健康に育ちました。