溝口肇の「ClassicBlue」という曲が流れている
PCを持ち込んで仕事をしているカフェに。
それにしても
溝口肇のチェロはどうして
こんなにも美しくて哀しいんだろう。
音が空気を振動させて、脳内の記憶を一緒に振動させるからだろうか?
つまり
「哀しみ」はこの音の振動とよく似た振り幅を持っているのかもしれない
だから共鳴するのかな。
いつも
クライアントにその時の感情を言葉にしてもらっている。
捉えどころのない霧のような曖昧なきもちを
なんとか手ですくって表現してもらう。
たとえば
今チェロの音を聴いている
私の感情を捕まえてなんとか言葉にするならば
「かなしい・せつない」かな。
それから
そのつふたつの違いはなんだろう?
と考えてみる。
私の中で
「哀しみ」は湖みたいに静かにそこにあるもの、
に対して
「切なさ」は肌に降りかかる冷たい雨。
自分では動かすこともできない静かな存在である「哀しみ」と
肌にささってくるような積極性を感じる「切なさ」との違い。
違うけれど、この2つは
水のように循環している気がする。
チェロの音色って
高級なウイスキーのように美味だなーと思いながら
珈琲を一口飲み込んで
また目はPCの中の文字を追いかける。
一緒に飲み込んでしまったさっきの感情の中には
「哀しみ」と「切なさ」では表現しきれない
きれいな緑や黄色が確かに存在していたなーと一瞬だけまた考えて。
言葉はそれを選んだとき
すくいきれなかった何かを必ずのこしてしまうものなのだ。
いつの間にか音楽が「世界の車窓から」に変わっていた。
よくカフェにPCを持ち込んで仕事をしています。
主にblogも含めライターの仕事など文章を書く仕事や
メール返信などです。
溝口肇さんのチェロの音楽が好きです。
その曲を聴いて
頭に浮かんだことをエッセイ風にしてみました。
私ってtry人です。(笑)
ちなみに
「世界の車窓から」は溝口肇さんの代表曲です。
今日も読んでくださいましてありがとうございます。
あなたの夢が叶いますように
さくらあくり