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愛もお金も引き寄せる人の「秘密」
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「縁起」という言葉は、もともとは仏教用語で、
すべてのものは無量無数の因縁のもとで存在している、という意味だそうです。
最近たまたまある動画でみて、なるほど!と思いました。
一粒のお米に、作ってくれた人の汗、太陽、水をみることができるか?という問いから始まる動画でした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180219/14/rumi8484/bd/df/j/o0474029614134665598.jpg?caw=800)
今日いただいたお米の一粒には、
農家さんの存在、流通に携わる人、お米ができるまでのお日様の光、水、
水道をつくってくれた人達、炊飯器を作っている人、販売している人、
電気を供給してくれている人たちなど、数えきれないほどのご縁がかかわっています。
そのどれがなくてもこのお米をいただくことはできません。
たった一粒のお米でさえこんなにもたくさんのご縁で支えられていることを考えると、
私たちが生きていくということは、どれほどたくさんの人や自然にささえられているのでしょうかね。
私達はこの多くの因縁によって存在するのであって、それを取り除いたら自分という存在は存在できない。
これを「縁起」というそうです。
私達は絶対に一人では生きられないのです。
昔は村社会の中で人同士の結びつきが強く、濃い人間関係の中で暮らしていました。
今は人の縁が薄くなっていると言われています。
でも、本当にそうでしょうか?
昔はほどんど自分たちの衣食住は自分たちで賄っていました。
だからその共同体の結びつきは強かったのだと思います。
今は自分たちで賄えないからこそ、かえって多くの人の縁を受けて暮らしているのではないかと思います。
見えていないだけではないですか。
先日作ったカレーのジャガイモは北海道産でした。
北海道の農家さんはもちろんのこと、北海道から運んでくれる人、
スーパーで袋づめしてくれる人、並べてくれる人、レジの人。
便利な世の中になったぶん昔にはなかった新しいご縁がうまれているのではないですかね?
「縁起」とは私を私として存在させてくれている因果関係です。
今日は普段は見えないご縁のことをちょっと考えてみてください。
毎日、数えきれないほどの見えないご縁に恵まれていることに気が付きます。
普段表に出ることのない影で支えてくれているたくさんのご縁。
ありがたいですね。
見えないご縁に感謝します。
いつもブログを読んでくださるみなさまとのご縁に感謝します。
今日も読んでくださいましてありがとうございます。
あなたに素敵なご縁がありますように。
さくらあくり