最近10回のセッションを終えられた神戸のAさんは、お子さんの不登校で悩んでいました。
(※ご本人の許可をいただいて書いてます。)
お子さんが学校に行かないと何が困りますか?と聞いたら、
「世間に対して恥ずかしい」と言いました。
「世間て誰?ですか?」
「世間?」
さんざん考えてから「父」と答えが返ってきました。
いろいろな人が同じように言います。
「世間に胸をはりたい。」
「世間に恥ずかしい。」
その世間を突き詰めていくと必ず誰かに行き当たります。
「世間」じゃなくて「誰か」にたいして恥ずかしかったり、見栄を張ってみたり。褒められたかったり。
私達はそれを曖昧にしたいがために、総称して「世間」と名前をつけているようです。
Aさんは、学校に行かないお子さんをありのまま受け入れることが出来ませんでした。
そんなAさんの話を聴いていくと
Aさんが認められないのは何よりも「自分」でした。
大変厳しくて怖い父親。それに全く反論できない母親。
自分は意見も言わずに、逆らうことなく、本当の自分を押し殺して生きてきて、
今になってものすごい違和感や窮屈さを感じていました。
自分を押し殺すことにあまりにも慣れてしまったために、本当の自分の気持ちがわからず、
そんな窮屈な不自由な想いがまさに息子さんに鏡として現れていました。
息子さんのことを一旦脇に置いておいて、まず自分を赦せない原因を探し出し、
その自動思考に気が付いてもらうところから始めました。
自分を赦し、自分はこのままでいいと本当に思えるようになることで、
学校に行かなくても、子どもが元気でいてくれればいいやと思えるようになったのです。
そしたら
なんと!自然とお子さんが学校に行くようになりました。
子どもは鏡です。
終了後Aさんから嬉しいメッセージをいただいたので、また今度ご紹介しますね。
今日の愛媛は久しぶりの雨です。音もなく静かに降っています。
桜の季節の雨を「花時雨(はなしぐれ)」と言うそうです。
春の雨も静かでいいものです。この雨が春を成熟させ、植物たちの養分になるのです。
今日も読んでくださいましてありがとうございます。
あなたにやさしい雨が降り注ぎますように。
さくらあくり